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明日で今週も終わる

 明日は実は入院していたバイクが戻ってくる。実は立ちごけして、修理に出していた。愛車には2週間くらい乗っていないので楽しみだ。しかも明日でやっと今週の仕事が終わる。気を引き締めてまた大きな失敗をしないよう気をつけねば。
 あぁ、この時間は1日の疲れが一気に来るのかやっぱり頭が回らない。別に通常状態で頭がよく回ってるわけじゃないけど、ただでさえボヤボヤした頭の中が余計ボヤボヤしている。健康だったあの頃にもし戻れれば、頭の中が晴れ渡ったようにきっと爽快なのだろう。まぁ当分は無理だと思うので期待はしていない。
 とにかく明日でようやく長かった今週も終わる。土曜日は無心でバイクを走らせよう。どこまで行こうか悩むところだ。
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人人人

 週の中盤戦。なんとか水曜日まで終わった。お金をもらう事の大変さを今さら実感。木曜日と金曜日をこなせば嬉し楽しい土日がやってくる。あと2日なんとか頑張ろう。
 ケアマネという仕事は介護保険制度だけでなく、周辺の制度も浅く広く理解しておく必要がある。利用者さんにとっては発信源がケアマネになるので、何でも知っていると思っている。医療保険、障害福祉、年金制度etc。なので日々勉強の毎日だ。なんと大変な仕事だろう。ケアマネの仕事はここまで、という線引きがない。どこまででも大変な仕事にもなるし、手を抜こうと思えばいくらでも手を抜ける仕事だ。
 目の前の人が困っていたら、当然見て見ぬふりはできず、介護保険制度のみで対応できない内容は、役所の人間や対象となる専門職の人をうまく巻き込んでいく必要がある。
 それに加えて、人と接することがストレスで、なるべく人間関係のない職場をずっと希望していたのだが、何とも不思議なことに職場の環境は人人人に囲まれた毎日。職場の人間とのコミュニケーション、利用者さんやその家族との会話、サービス事業所との連絡調整、医師への相談、包括支援センターへの営業。対人関係に最もストレスを感じる(もしかしたら大抵の人がそうなのだろうか)僕が毎日毎日毎日、人人人に囲まれながら仕事をしている。事務所にいれば先輩や同僚に気を使うし、利用者さんの家に訪問すれば本人や家族にももの凄く気を使う。あらゆる人達に気を使いながら仕事をしている。おかげで1日終わって自宅に帰宅し、今まさにこの時間帯はグッタリだ。
 明日はそんなに訪問も入っていないし、事務所に先輩や同僚もいない時間帯が多そうなので、少しは気楽に仕事ができそうだ。あと2日頑張れねば。

続 大失敗

 仕事での大失敗から1週間が経過しようとしている。今日は管理者と一緒に顛末書を役所へ提出しに行ってきた。僕の落ち込み度合いも大分良くなり、管理者の機嫌も少し上向きにはなってきていた。役所の責任者も、大失敗をしてしまった翌日謝りに行った時よりは少し穏やかな対応をして下さった気がする。
「この度は大変申し訳ありませんでした。」
という管理者の謝罪に対して、
「まぁ今回は役所に個人情報を落としたという事で、うちの職員が見つけたこともあり◯◯君は役所では有名になってしまいましたが、紛失したとかではないので不幸中の幸いだったと思います。」
と役所の責任者。
あぁ、なんて穏やかな会話なんだ。事故直後のあのピリピリしたムードは無くなっていた。あとは僕が2度と同じことを繰り返さないよう気をつけねばと心に誓った。が反面個人情報をまた紛失してしまうのではないか、という恐怖がいつも付き纏っていて、仕事にならない。今度同じことをやったら終わりだ。ミスできない。
 今週もまだ火曜日。金曜日まではまだまだ長い。まだ週の半分も来ていない。事故後ほど落ち込んでいないにせよ、まだまだ憂鬱な日々が当分は続きそうだ。失敗しなように失敗しないように頑張ろう。

 ちなみに今回の失敗で、管理者ともう1人の先輩従業員に嫌われ人間関係もこれでお終いだと思っていた。むしろ仕事で大失敗した自分への情けなさよりも、この半年間苦しんで苦しんで築いてきた人間関係が崩壊することの方が怖かった。しかし、意外にも2人ともこんなクソな失敗をした自分を励ましてくれた。この事は僕にとって非常に大きな経験というか心の財産というか、大事にしたい出来事だった気がする。人間なんてクソだと思っている僕にとっては本当に有難い経験をさせてもらった。他者によって傷つけられ傷んだ心は他者によってしか回復しないのかもしれない。
 理屈はまぁこれくらいにして、職場の管理者と先輩従業員には本当に感謝している。これからもこの職場で頑張ってみようと思えた。僕の人生には珍しく環境に恵まれたのかもしれない。

数学の勉強

 昨日からストレス解消のため、大学時の数学の教科書をもう一度やり直している。余計な感情が出てこないし無心になれる。実は僕は小さい頃から人の話を理解することが苦手で、文字を読んで音読する事はできたが読解することが苦手だった。だから何度も何度も同じ文章を読んでいた。いくら集中して文章を読んでも全く関係ない事が頭の中に次から次へと浮かんで、読んでも読んでも頭に入っていかないこともあった。国語という教科が大嫌いだった。大学入試のセンター試験でも現代文が最も苦手で、文章の意味を理解することはもちろん、問題を何回も何回も読んでいた気がする。全ての勉強の根本は国語力なので、どの勉強も辛かった。授業中に先生の言っていることが全く頭に入っていかないこともあった。それでもなぜか勉強はそれなりに頑張ってたような気がする。でも楽しいなんて思ったことはなかった。多分医者に行ってしっかり診断してもらったら、”なんたら障害”って病名がつきそうだ。
 なんとか大学に入学してから、ある友人に数学の勉強の仕方を教えてもらってから少しずつ僕の脳が変化していった。数学の公式や計算式、証明を片っぱしから何度も何度も声に出してノートに書き写す。理解するまで。これやっているとやがてロジックを全て暗記してしまう。何度も何度もノートに書き写しても理解出来ないときは、1日寝かせてまたノートに書き写す。これを繰り返すことで、今までわからなかった箇所も突然理解できたりする。そんな事を繰り返している内に、数学の力がつき、大学のテストも高得点を取れるようになっていった。そしてずっと本を読むことに苦手意識があったのだが、数学のロジック暗記を繰り返すことで、読解能力も上がっていった。なんと以前よりも文章の内容を理解するスピードが上がったのだ。それから、勉強というものが楽しくなり(特に数学)、確率や統計などのより抽象的な理論を勉強するようになったりした。
 要するにそういうことである。数学の勉強してればとにかくこの答えのない現実世界と違って、答えがはっきりと与えられているから、現実逃避にはちょうどいい。今日も今から昨日の続きを勉強するつもりだ。この勉強方法を教えてくれた大学の友人とは今でも交友関係が続いていて、先日遊びに行ってきたばかりである。彼にはとても感謝している。

愛してるから

 午前中は比較的元気だったが夕方くらいから体調最悪。気分が上がらない。精神的な病気を抱えていない健康な人がうらやましい。道ですれ違う人達、街行く人達の笑顔なんか見てしまうと、キラキラ光って眩しいよ。健康な人もそれなりに苦労はあるとは思うが、発しているものが全く違う。羨ましい。
 この世で最も不幸な病気はうつ病だと思う。幸せは他人が客観的に見て、恵まれているように見えようが、恵まれていないように見えようが関係ない。幸せかどうかは結局本人がどう感じているかで決まる。五体満足でも金持ちでもエリートでも妻が美人でも身長が高くても、本人が不幸だと感じれば不幸だ。一方、四肢が動かなくても貧乏でも身長が低くても本人が幸せだと感じれば幸せだ。
 うつ病は不幸に感じる病気と言っても過言ではない。という事はどんな病気よりも不幸な病気はうつ病だ。「うつ病は心の風邪です」なんて軽く言う専門家がいるけれど、そんな生易しいものじゃない。この世の絶望と本人は闘っていると思ってもらいたい。そんな風邪なんて言葉で簡単に語って良い病気じゃない。どんな難病も本人の人間性や強い意志、勇気があれば前向きにも捉えることができる。しかし、うつ病はそれさえも許されない。人間性も強い意志も勇気も全て根こそぎぶっ潰してしまう病気だからだ。生きながら死んでいる、いや生きながら死ぬより最悪な気分を味わっている。
 だから自分はいつも思うのだが、この世で最も苦しい病気と自分は闘っているんだと感じている。この世の地獄だ。そんなのが何年も続いてみろ。軽々しく前向きな言葉、同情の言葉、かけてくれるなクソが!と思ってしまう。口が悪くて申し訳ないとは思うが、正直本心はもの凄い憎しみ悲しみ、怒りや孤独を抱えている。
 精神的に健康な人は違う世界の人に感じる。遠い遠い世界の人。眩しすぎるよ。キラキラしてる。そんな顔でこっちを見るな。惨めだよ。
 妻と子供の笑顔に、偽りの笑顔で返す日々も疲れたな。子供には絶対に自分のようになっては欲しくないとただただ強く願っている。勉強も運動も何もできなくてもいい、頼むから精神的な病にだけはかからないでおくれ。愛してるから。

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